過去に3回の結婚歴がある松田聖子。結婚生活の合間に仕事でアメリカ進出ハリウッド映画出演を果たすも旦那や子供とは不仲に。現在の夫は資産家の息子で前妻との間に双子の息子がいましたが松田聖子が略奪。そんな松田聖子の結婚&離婚や子供との仲、ハリウッド進出を時系列で追ってみます。
松田聖子アメリカデビュー、ハリウッド進出と結婚歴
1980年4月に『裸足の季節』でデビューし、その3か月後の1980年7月にリリースした2枚目のシングル『青い珊瑚礁』の大ヒットでブレイクを果たした松田聖子。
80年代のアイドルブームを起こした松田聖子ですが、現在のもっぱらの話題は結婚歴や旦那、子供。そしてたまに、ドラマや映画の出演でも話題になってきました。
そんな松田聖子の結婚&離婚歴や子供のこと、ハリウッド進出した時期を年表にしてみました^^。
24歳(1986年)神田沙也加を出産
28歳(1990年)『Seiko』名義で全米デビューを果たす
35歳(1997年)神田正輝と離婚
36歳(1998年)映画『アルマゲドン』でハリウッド進出
36歳(1998年)2度目の結婚 波多野浩之(歯科医)
38歳(2000年)波多野浩之と離婚
50歳(2012年)3度目の結婚 河奈 裕正(歯科医)
こうして松田聖子の人生のステージを見ると、一度目の結婚生活とアメリカ進出が重なっています。
結婚と子供、仕事で、松田聖子に何が起こったのか、時系列で詳しく調べてみましたよ。
松田聖子 アメリカ進出が結婚生活を壊した?
1985年、松田聖子は、4年間交際した郷ひろみと破局。
同年、神田正輝と結婚します。
翌年、娘の神田沙也加を出産。出産復帰後も『ママドル』として人気を博しました。
日本がバブル景気絶頂期の1987年、これまでも松田聖子の売り出しをしてきたレコード会社のソニーがアメリカのCBSレコードを買収。
それを記念して、日本人の歌手を世界デビューさせるというプロジェクトに選ばれたのが松田聖子でした。
そして1988年秋、松田聖子はニューヨークへ旅立ちます。
旦那と娘を残しニューヨークと東京とを行ったり来たりの生活になった松田聖子は『ママドル』のイメージが急激に薄れていきました。
日本にいない時間が長くなっていった松田聖子に、徐々にバッシングが増えていきます。
アルバム『Seiko』のレコーディングでアメリカ滞在していた時期は、まさにマドンナの人気絶頂期。松田聖子もマドンナを強烈に意識していました。
日本のマスコミに『ママドル』と持ち上げられた松田聖子でしたが、派手に変わったメイクやファッションに「産み棄て親」「育児放棄」と批判されてしまいます。
松田聖子 アメリカ進出の失敗
1989年に入り、近藤真彦とのニューヨーク密会のスキャンダルや、『サンミュージック』からの独立で、バッシング報道はさらにエスカレート。
松田聖子は、3作目のシングル「風は秋色」で初のチャート1位を獲得してから、「旅立ちはフリージア」までの24曲が、連続でオリコン1位となっていましたが、このバッシングで連続記録も途切れ、紅白にも落選。
アメリカ進出どころか、日本での歌手としての地位さえ危うくなる中、1990年6月に海外発売されたアルバム『Seiko』は、オリコンアルバムチャートで最高位2位を記録。
日本では30万枚を売り上げました。
しかしアメリカだけで松田聖子の人気を見てみると、ビルボードの総合チャートで一番人気があった曲でも54位止まり。
ビルボードの総合チャートは、上位40位に入らないと売れているとは言えないのだそう。
旦那と子供との生活を犠牲にして挑んだ松田聖子のアメリカ進出は、失敗に終わりました。
松田聖子日本でディナーショーの女王に
アメリカ進出直後に所属事務所を退所し個人事務所を設立したため、アメリカで失敗した後の日本での活動はセルフプロデュースしなければなりませんでした。
アメリカで活動している間、人気が下がってしまった松田聖子でしたが、ドラマ主演、CM復帰など少しづつ人目に触れる機会が増えてきました。
そんな中、1992年末、松田聖子はクリスマスのディナーショーをスタートさせます。
80年代〜90年代初めの頃、ホテルでのクリスマス・ディナーショーといえば、中堅からベテランの歌手や演歌の大御所が中心でした。
そんなクリスマス・ディナーショーに、現役アイドル松田聖子が参入したことは、当時大きな注目を集めました。
松田聖子が結婚&出産を経て『ママドル』と呼ばれるようになってから、ファンは女性が中心に。
その女性ファンは、松田聖子と共に歳を重ねて金銭的余裕がある年代になっていました。
現に、5万円弱という高額設定にも関わらず、全会場で完売。
松田聖子は、翌年以降もディナーショーは継続し、現在は『ディナーショーの女王』の異名をとっています。
アメリカ進出していた頃にバッシング報道で批判されるも芸能界から消えることなく、根性で日本での人気を取り戻した松田聖子。
歌番組の出演がなくともディナーショーで稼ぐ現在の松田聖子の仕事スタイルは、この時期に確立したようです。
松田聖子離婚と再婚!子供との不仲
日本の芸能界で再び地位を取り戻した松田聖子。
しかしプライベートでは、1997年、神田正輝との結婚生活は破局を迎えます。
理由は松田聖子による、近藤真彦、英語教師のジェフ、バックダンサーのアラン・リードとの不倫でした。
神田正輝との間に生まれた子供、神田沙也加はこの時10歳。
娘、沙也加の苗字は神田ですが、親権は松田聖子が持ちました。
この頃、学校で沙也加の苗字が変わることを憂慮し、『神田』姓で新たな戸籍を作り母子ともに神田姓となっています。
神田正輝と離婚した翌年の1998年5月、2ヶ月という短い交際期間を経て、松田聖子は歯科医の波多野浩之と2度目の結婚をします。
松田聖子は、娘の神田沙也加が中学校に進学するタイミングで、2番目の夫・波多野浩之とともに、3人で渡米することを決意。
2番目の旦那・波多野浩之は、1999年4月からアメリカ・ロサンゼルスのUCLAに留学します。
ところが神田沙也加は「継父とは渡米できない」と日本の全寮制中学校へ進学。母親の再婚相手を父親と認めたくなかったのでしょうかね。
しかし有名人の子供ということでいじめの標的にされ、日本の中学校を退学しロサンゼルスの日本人学校に転校しました。
イヤイヤ来たロサンゼルスでしたが、母の松田聖子は日本で仕事があれば一人で帰国。血のつながらない父親とロサンゼルスに残された神田沙也加は、さぞ寂しかったのでは。
さらに神田沙也加は、ロサンゼルスの学校にも染むことができず、高校卒業までに4回の転校を繰り返しました。
一時期、神田沙也加が松田聖子とは仲違いし、実父の神田正輝とはとても仲が良かったという理由がわかります。
松田聖子ハリウッド進出!アルマゲドン出演シーンはどこ?
松田聖子は、ブルースウィリス主演のハリウッド映画『アルマゲドン』にチョイ役で出演しています。
『アルマゲドン』のアメリカでの公開が1998年7月1日なので、撮影時期は、おそらく1997年〜1998年の始め。
松田聖子が神田正輝と離婚し、2番目の旦那、波多野浩之と出会う直前の時期です。
チョイ役とはいえハリウッド大作『アルマゲドン』に出られたということで、また拠点をアメリカにすることには乗り気だったはずの松田聖子。
アメリカでの活動に力を入れるため、2番目の旦那・波多野浩之をロサンゼルスに留学させたのかもしれません。
さてさて、記念すべき松田聖子ハリウッド進出シーン。
『アルマゲドン』の冒頭、ニューヨークに隕石が降ってくるシーンです。
タクシーの後部座席に乗り込んだ松田聖子が「I want to go shopping!(わたしはショッピングしたいの!)」と言っています。
気づかない人が多い本当のチョイ役。わたしも最近『アルマゲドン』を観たときに、松田聖子が出ていることをすっかり忘れていて、うっかり気づきませんでした^^。
チョイ役と言ってしまうと、ちょっと外聞が悪いですね^^。
実は、『アルマゲドン』の松田聖子のチョイ役の出番は『カメオ出演』で、 有名人をチラッと出演させて話題性を高める効果を狙ったもの。
『アルマゲドン』のマイケル・ベイ監督が松田聖子のPVを手掛けたことがあり、そのコネで出演できたのでした。
全世界でヒットした『アルマゲドン』は、90年代を代表するSFスペクタクルの超大作となりましたが、松田聖子はその後、ハリウッドで頭角を現すことはありませんでした。
1999年公開の『わたしが美しくなった100の秘密』にも松田聖子は出演していますが、クレジットを見ると『Seiko Matsudo(セイコ マツド)』になっていたという、なんともツイていないオチがついていました。
松田聖子 アメリカ3度目の挑戦と台湾進出
1998年5月に波多野浩之と電撃結婚した松田聖子。
ビビっときたわりには、たった2年半後の2000年12月には離婚しました。この時、松田聖子は38歳。まだ子供ができてもおかしくない年齢でしたが、波多野浩之との間に子供は作りませんでした。
3度目の結婚はこの12年後になります。それまでの間の松田聖子の芸能界での活躍はというと…パッとしません。
コアなファンに向けたコンサートとディナーショーくらい。
そんな中、わりと評価され話題になったのは…
2002年に全米リリースしたアルバム『area62』。アメリカでの3度目の挑戦です。
アルバムにはこのような感想が寄せられました。
今回はかっこいい中に聖子ちゃんぽさも若干のこってて、今までの聖子ファンも楽しめる内容。二曲目が特に好き。
一度松田聖子と言う先入観なしにみんなに聴いて欲しいアルバムです。
松田聖子じゃないseikoの音楽の世界があります。いまさら聖子はどうも..(ファンの方ゴメンなさい) と思われている方にもお薦めします!
「松田聖子っぽくなくてイイ」とは、褒めているのか馬鹿にしているのか微妙ですが、一応、評価は良いようです^^。
また、デビュー25周年を迎えた2005年には、台湾進出をしています^^。
8月26日に台湾でコンサートを開催した際には、中国語のセルフカバーを披露し、台湾のファンを魅了しました。
台湾公演を記念して発売された、北京語の台湾限定盤アルバム『I’ll fall in love愛的禮物』は、台湾のアルバムチャートで初登場1位を獲得しました。
松田聖子 現在の旦那には双子の息子が!
高額のディナーショーも快調な流れに乗り、たまには海外での活躍も話題になるようになった松田聖子。
2012年には、3度目の結婚をします。新しく旦那となったのは、またまた職業・歯科医の河奈 裕正です。
この時、松田聖子は50歳。お相手の河奈 裕正は2歳年下の48歳。
これまで自身の不倫が原因で離婚してきた松田聖子ですが、そろそろ落ち着く年齢でしょうか^^。今のところ(2023年11月現在)、2人の結婚生活は順調です。
この松田聖子の現在の旦那・河奈裕正は、資産家の息子で大地主。歯科医ですが不動産業界でも有名です。
そして、インプラントが専門の口腔外科の医師という職業の他、慶應義塾大学医学部の准教授でもあります。
2人の交際は、番組の収録中の歯の痛みを訴えた松田聖子が、河奈裕正の診療所を訪れたことでスタートしました。
河奈裕正が松田聖子のファンだったこともあってすぐに親しくなったとのことですが、自分と同じ世代のアイドルに好きと言われたら、これまでファンじゃなくても舞いあがっちゃいますよ^^。
ところがこの時、河奈裕正は、8歳年下の妻と中学生の双子の息子を持つ既婚者。
というわけで、2人の結婚は松田聖子の略奪婚です。
ちなみに、河奈裕正の双子の息子の親権は元妻が持つこととなり、松田聖子の息子にはなっていません。
松田聖子 子供の死と映画監督デビュー
2021年には、松田聖子はなんと映画監督デビューを果たします!
前年2020年には、アーティスト活動40周年を迎えた松田聖子。
監督した映画は、『フォークロア』というホラー作品集のひとつ、シーズン2の一編『あの風が吹いた日』。
作品は、女子高校生が憧れの歌手に偶然出会ったことから始まります。一見ラブストーリー、でも本当はホラーです。
作品のジャンルがホラーだったことや、米HBO傘下のHBOアジアが製作する映画ということで、東南アジア圏でも話題になりました。
松田聖子が監督した『フォークロア2:あの風が吹いた日』が世界初披露されたのは、2021年10月30日~11月8日に開催された「第34回東京国際映画祭」。
映画は、公開後の評価も良好、製作サイドの意向と松田聖子のやる気もあり、『松田聖子監督の2作目の作品』が予定されました。
しかし、松田聖子が意欲的になっていた2021年12月18日、
松田聖子の一人娘、神田沙也加が急逝します。死因はホテルの窓からの飛び降り自殺。
享年35歳でした。
その日、都内のホテルでクリスマスディナーショーを開催していた松田聖子。
終演後に突然の訃報を知らされると、人目をはばからずに号泣しました。
その後、東京や大阪で予定していた仕事は全てキャンセル。大みそかのNHK紅白歌合戦出場も辞退しました。
何かに挑戦するたびに、家族との問題が上がる松田聖子。
しかし、今回も翌年4月にはディナーショーで活動を再開させ、タフに復帰します。
予定されていた2作目の映画は、前作と同じホラー作品を考えていましたが、娘・神田沙也加の死を受け、いまでは家族愛をテーマにした構想もあるとのことです。