問題児のイメージのジョニーデップ。若い頃の不良役がハマってこのイメージになったのかと思ったのですが、度々問題に上がる素行の悪さは幼少期の母の虐待にあるようです。今回はジョニーデップの幼少期や俳優デビュー前の若い頃をたどりジョニーデップの人柄についてまとめました。
ジョニー デップ、幼少期の母の暴力を語る【アンバーとの裁判で】
2022年4月11日に始まり6週間に及んだ、ジョニーデップと元妻アンバー・ハードの名誉毀損裁判。
ジョニーデップは、元妻アンバー・ハードに薬物使用について主張され、母親の暴力に耐えた幼少期について説明しなければなりませんでした。
このジョニーデップの『幼少期に受けた、母親から身体的、精神的虐待』の主張に、その後の若い頃に続くジョニーデップの奇行にも、納得がいきます。
今回は、問題ばかり起こす、61歳(2024年10月現在)のやんちゃなジョニーデップの激動の人生を見ていきます。
ちょっと切なくて、ジョニーデップをきっともっと好きになってしまうこと間違いなしです。
ジョニー デップの幼少期!引っ越し40回の子供時代!
1963年6月9日、ケンタッキー州の小さな町オーエンズボロに生まれたジョニー デップ。
土木技師の父とコーヒーショップのウェイトレスとして働く母とに間に、4人兄弟の末っ子として生まれました。
幼少期のジョニーデップは頻繁に引っ越しを繰り返していました。
その理由は、ジョニーデップの母が「どこかの場所に長い間住む」ということがことができなかったから。ちょっと心を病んでいそうですね。
ある時には、住んでいる隣の家に引っ越したほど。
ジョニー デップがちょうど7歳のとき、家族は南フロリダに引っ越します。
そして、父が仕事を見つけるまでの1年の間、モーテルを転々としながら生活していました。
現在、スター俳優となったジョニー デップは、トーク番組で引っ越しについてこのように明かしています。
「15歳になる前までに、おそらく40回は家を引っ越した」
そして当時を振り返り「私の母は、引っ越しがとても好きでした」と語っているジョニー デップ。
いやいや、『好き』というレベルを超しているでしょう。
ジョニーデップの母親は、間違いなく心が不安定そうです。
幼少期の引っ越しの多さについて、ジョニー デップ本人が『悲観的』に述べている記事は、見つからなかったのですが、
元妻アンバー・ハードとの裁判で、ジョニー デップが『母親から虐待を受けた幼少期』について語らなければならなかったことからすると、
やはり『引っ越しの多さ』は、ジョニー デップの心に傷を残していそうです。
ジョニー デップは幼少期の母の虐待を『普通』だと思っていた?
ジョニー デップの姉は、元妻アンバー・ハードとの裁判で、2016年に亡くなった母親、ベティ・スー・パーマーについて話しました。
ジョニー デップの母の教育方法は暴力的で、子供が間違ったことをしたら殴り、また間違っていなくても殴ったのだとか。
身体的虐待としては、灰皿を投げつけられたり、頭を殴られたり、ハイヒール、電話など、手近な物で殴られたり…。
母の行動は非常に暴力的で残酷なだけではなく、予測不可能。
ジョニーデップと父や兄弟たちは、母が通り過ぎる時は『何をされるかわからなかった』ため身構える癖がつくほど。
家の中には安全で安心な場所はなく、ジョニー デップや父、兄弟たちが唯一できることと言えば、攻撃から離れようとすることだけでした。
ジョニー デップによると、肉体的な痛みを受けると、それを受け入れ対処することを学ぶのだそうです。
こんな虐待を受けていても、子供の頃のジョニー デップや兄弟は『普通の生活』だと思っていたのだそう。他の家庭のことを知らなかったので…。
そしてジョニー デップは、「私の両親は、彼らが知っている方法で、できる限り最善を尽くしていたんだ。」と、母の身体的な虐待も容認していました。
しかし一方で、言葉による虐待、感情的な虐待、心理的虐待は、身体の殴打よりも苦痛を与え、ジョニー デップや兄弟たちの心を引き裂いたと語っています。
ジョニー デップの母について調べると、ジョニー デップと仲が良さそうに映った写真がよく出てきます。
ジョニー デップが、どんな気持ちで一緒に写真をとったのかは想像するしかありませんが、ジョニー デップは母親の虐待を、若い頃に許していたのではないでしょうか。
でも、心の奥底に閉じ込めた感情は、くすぶり続けるものですよね。
ジョニー デップ、若い頃の過ち!辛い感情から逃れたかった
一方の父は、子供だったジョニーデップを、母の命令でベルトで殴打することもありました。
現在、ジョニーデップは、父親を『親切で』『恥ずかしがり屋』、そして『ストイック』と表現しています。
一見、父親に対しては『憎しみ』のような感情はないようにも見えるジョニーデップですが、父に対してもワダカマリがありそう。
ジョニー デップは、1997年の雑誌『Hello!』で、自身が12歳の時には、両親は常にケンカしていたと明かしていました。
そんな子供時代を過ごしたジョニー デップは、10代で手に負えない不良少年に。
ジョニー デップは、1994年の人気情報誌『ピープル』でも、「12歳でタバコを吸い始め、13歳頃に女の子と初体験し、14歳までにあらゆるドラッグをやった」と語っています。
そして1978年、ジョニー デップが15歳の時のある朝、母の虐待に耐えられなくなった父親は、仕事に出かけたきり家には戻りませんでした。
父が家出した後のジョニー デップは、ドラッグとアルコールに逃げ場を見出し、事件を起こし逮捕されるなどの問題児となり、
母親は『深く暗い鬱状態』に陥り、自殺未遂を起こします。
ジョニー デップのドラッグの使用は、この家庭環境で『あまりにも辛く感じることから逃れるため』に、11歳の時に母の精神安定剤を飲んだことから始まりました。
その後もジョニー デップはドラッグを使用しますが、それはジョニー デップにとって『パーティーを楽しむためのもの』ではなく、トラウマから出てくる辛い感情を麻痺させるためのものでした。
現在のジョニー デップが、「かなり若い年齢で薬物を使用したことを誇りに思っているとは言えませんが、他に何をすべきかわからなかった」と言っているように、
薬物使用のきっかけは、こじれた家庭環境にあったのですね。
ハリウッドで映画デビューした当時、『不良っぽさ』が魅力だったジョニー デップ。
不良っぽかったのではなく、本当に不良だったのです。
度々話題になる、ジョニー デップの今までの素行の悪さの理由と、なんだか繋がってきました。
ジョニー デップ、若い頃に出会ったギター!音楽で夢を追求
ジョニー デップがギターを弾くようになったのは、12歳の頃。
日常的な母のDVから自分自身を引き離すために、部屋にこもってギターの練習に明け暮れるようになります。
そして、ジョニー デップが14歳になる頃には、音楽が人生の全てになりました。
ジョニー デップは、毎日、学校から帰ると自分の部屋に閉じこもり、眠りにつくまでギターを弾き、楽器店で万引きした練習本で、独学でギターをマスターします。
この頃のジョニー デップは、外の世界とは、ほとんど接触していませんでした。
ジョニーデップの紆余曲折の人生に同情の念を抱きつつも、度々やらかす薬物や万引きなどの悪事に、ちょっとツッコミを入れてしまいそうになりますね…。
そして1979年、16歳の時に、ジョニー デップは音楽の夢を追求するために高校を中退。バンドに入り、クラブを回って演奏をします。
そんなある日、ジョニー デップは「やはり高校くらい卒業しないとな」と反省。中退した学校におもむきます。
しかし校長先生に会うと、「きみは、勉強よりロックスターの資質がある」と言われ、
学業に戻れなかったジョニー デップは、なんだか嬉しいような、変な気持ちで帰ってきました。
わたしは、校長先生のこの言葉は、不良少年を学校に戻したくないための、ていのいい断り文句だったように思うのですが、勘ぐりすぎですかね^^。
しかし、これが後のハリウッドスター、ジョニー デップの礎となるのですから、ジョニー デップの音楽活動を激励した校長先生、ナイスです^^!
そしてジョニー デップは、『キッズ』というバンドで演奏しながら、工事現場やガソリンスタンドで働きます。
お金に余裕がない時は、数ヶ月間友人の車の外に住むという、ある意味サバイバル(?)な生活をしていました。
ジョニー デップの若い頃!音楽でロサンゼルスへ、1回目の結婚
ジョニー デップのバンド『キッズ』はファンも増え、『B-52s』『プリテンダーズ』『トーキングヘッズ』などの前座を務めるようになり、
1981年には、ジョニー デップの音楽に影響を与えた『イギーポップ』の前座を得ます。
この頃、ジョニー デップは、バンドのメンバーの姉であるロリ・アリソンと交際。
一方、バンド活動は、成功により次のステップを目指します。
1983年、バンド『キッズ』は、ロサンゼルスでレコード契約を得るため、自分たちのお金をかき集めて、フロリダからカリフォルニアへのドライブを決行。
この時、ジョニー デップは19歳でした。
ジョニー デップらバンドのメンバーは、ロサンゼルスに到着すると、バンド名を『シックスガンメソッド』に変えて転機を待ちます。
そして、自分達が『食物連鎖の最下位に戻った』ことに気づいたジョニー デップは、家賃を払うために、どんな仕事でも探し、整備士、建設労働者、スクリーン印刷業者として働きました。
その1983年の12月に、まだ両親から受けた心の傷に苦しみ『安定を求めていた』ジョニー デップは、ロリ・アリソンに結婚を申し込み、二人は結婚します。
ジョニー デップは、ロリ・アリソンと結婚したものの、週給100ドルの、電話で『ペンを販売する仕事』に就き、全く冴えない毎日を送っていました。
そして、すぐにジョニー デップとロリ・アリソンの関係はうまくいかなくなります。
わたしが、ハリウッドでスターになる俳優に共通していると思うのは、みなさん、ある時点で普通の人がやらないようなリスクを取るということです^^。
ジョニー デップも、ロサンゼルスに来て食物連鎖の最下位(?!)になってもなお、スゴスゴとフロリダに帰ったりはしませんでした^^。
こういったところで、わたしは、ジョニー デップは強靭な精神の持ち主だなと思うのですが、
一方で、結婚については、
「結婚するには若過ぎるとを知っていたが、安定を求めていたわたしは、結婚で安定が見つかるだろうと思っていた」と語っていて、
若い頃から抱えている、ジョニー デップ『心の闇』に触れたような気がしました。
ジョニー デップの若い頃!人生を変えたニコラス・ケイジとの出会い
ジョニー デップとロリ・アリソンは離婚しようとしていましたが、ジョニー デップの人生の方向を永久に変えたのは、ロリ・アリソンでした。
冴えない毎日を送っていたジョニー デップを、ロリ・アリソンは、前のボーイフレンドのニコラス・ケイジに会わせます。
仲良くなったニコラス・ケイジは「俳優になれば?」と、ジョニー デップにエージェントを紹介。
すぐにその気になったジョニー デップが、そのエージェントに会うと、『エルム街の悪夢』(1984年公開)のキャスティングディレクターを紹介され、
次にウェス・クレイヴン監督に会いに行くように言われ、あっという間に映画デビューが決まります。
ギャラは、映画俳優組合の最低賃金の、1週間1284ドル。当時のジョニー デップには大金でした。
ここから、ジョニー デップのスター街道が始まります。
ちなみに、わたしは今回調べてみて驚いたのですが、ジョニー デップは1963年6月生まれ、ニコラス・ケイジは1964年1月生まれ。二人は、ほとんど同い年です。
(わたしは、完全にニコラス ケイジの方がもっと年上だと思っていました^^)
そして若い頃のジョニー デップは、若かりし日のニコラス・ケイジのアドバイスを聞き、演技力を磨きます。
その後ジョニー デップは、テレビドラマ『21ジャンプストリート』(1987~1990年)で、主役の黒い皮ジャケットを着た、反抗的な態度の警官トムを演じ、一気にトップアイドルの地位に躍り出ました。
そんな輝かしいキャリアを得たにもかかわらず、若い頃からジョニー デップのプライベートは大荒れ。
『ハリウッドの問題児、ジョニー・デップ誕生!』といったところでしょうか^^。
そして、1990年には、映画初主演『クライ・ベイビー』が大ヒット。
わたしは、当時ハリウッドで完全なる問題児だったジョニー・デップが、この『クライ・ベイビー』で不良を演じたことで、
ワルのイメージが功を奏して、ジョニー・デップに不良のイメージが定着したのかと思っていました。
しかし、ジョニー・デップの普通とは違った奇抜な行動は、幼少期にまでさかのぼるのです。
ジョニー デップ、若い頃に生き方が一変!しかしまたトラブル人生に!
1998年、ジョニー・デップは、フランスの人気歌手であり女優のヴァネッサ・パラディと交際を始め、翌年1999年には、娘リリー=ローズ・メロディ・デップが誕生。
2002年には、息子ジャック・デップも生まれ、「子供にとって誇り高い人間でいたい。」「それまでの僕は半人前かそれ以下だったから。」と言い、
破天荒だったジョニー・デップは『家族を大事にする良きパパ』に変わったかのように思われました。
しかし、ジョニー・デップは、2011年に公開された 『ラム・ダイアリー』で共演したアンバー・ハードと交際。
事実婚だったヴァネッサ・パラディとは別れてしまいます。
わたしの若い頃に、フランスのアイドル歌手だったヴァネッサ・パラディ。
日本のアイドルのような『あざとかわいさ』ではなく、若い頃のブリジット・バルドーのような、かっこよさがあり、
さすが、ジョニー・デップは素敵な女性を選んだな、と思っていました。
なので、ジョニー・デップとヴァネッサ・パラディの破局には、わたしはかなり落胆してしまいましたよ。
年の差23歳のジョニー・デップとアンバー・ハードは、2015年に結婚しますが、わずか15か月で離婚。
超泥沼劇となったジョニー・デップと元妻アンバー・ハードの裁判は、2022年6月1日にジョニー・デップの勝訴となりましたが、
息つく暇もなく、2022年7月25日には、撮影現場でのスタッフへの暴力行為でジョニー・デップは再び裁判所に出廷することとなります。
これまでのジョニー・デップの、飲酒や遅刻、暴力などの素行の悪さから、ジョニー・デップがスターとして戻ることを、消極的に考える映画関係者もいますが、
一方で、人気情報誌『ピープル』は、ジョニー・デップを「興行収入を稼ぐ潜在的な力が大きすぎる」と評価しています。
わたしは、今回知った、ジョニー・デップが子供の頃に受けた心の傷を思うと、ジョニー・デップの奇行は、まだまだ収まりそうもないな、と思ってしまいましたが、
ジョニー・デップに、破壊級の人気があることは確か^^。
映画『ファンタスティック・ビースト』では、ジョニー・デップは降板となってしましましたが、
わたしは、元妻アンバー・ハードとの法廷闘争で頓挫した『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの復帰は必ずあると信じて、楽しみにしています^^!
『ファンタビ』シリーズの登場人物と主要キャストのまとめ記事はコチラ↓