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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲、いつ悪くなった?葬儀を無視するほど

ダイアナ妃女性俳優
引用:Twitter

ダイアナ妃は1997年に事故死した時、ダイアナ妃の死を無視し続けたエリザベス女王2世。イギリス国民の怒りを買ったエリザベス女王2世は、慌ててダイアナ妃の葬儀を執り行います。今回はエリザベス女王2世がダイアナ妃を嫌った理由、ダイアナ妃の事故後から葬儀を執り行うまでのエリザベス女王2世の態度と気持ちの変化についてまとめました。

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ダイアナ妃とエリザベス女王、仲が悪くなったのはいつ?別居後に態度が一変

 

幼稚園の保母さんをしていたダイアナ妃は、19歳の時にイギリス王室に見初められ、20歳でチャールズ皇太子と結婚。

 

 

ところが1984年、次男ヘンリー王子を出産後に、チャールズ皇太子との仲が悪くなり始めました。

 

その後、数々のスキャンダルがマスコミで取り上げられるようになると、1992年、ダイアナ妃は自伝『ダイアナ妃の真実』で王室のスキャンダルを暴露します。

 

そして同年の1992年12月、ダイアナ妃とチャールズ皇太子は別居を発表。

 

1995年11月20日には、別居中のダイアナ妃は1時間にわたるBBCのインタビューに応じ、世界中に放送されました。

 

このインタビューで、ダイアナ妃は、チャールズ皇太子と愛人カミラの関係を知った時のショックを語ります。

 

そして自身の不倫を問われると、ダイアナ妃は「イエス」と答え、これを認めました。

 

しかし、ダイアナ妃の不倫の告白はダメージにならず、逆に、将来の国王の母としての義務を果たしたことをアピール。

 

ダイアナ妃は賢い話し方と地味なファッションで、国民の好感を得ることに成功します。

 

またダイアナ妃は、チャールズ皇太子との別居後、エリザベス女王2世の態度が一変し、ダイアナ妃は王室のやっかい者扱いされるようになったと暴露。

 

エリザベス女王2世だけではなく、王室メンバーを敵に回してしまいます。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲が悪すぎる!離婚を勧められる!

 

1996年7月12日午後3時半、バッキンガム宮殿は、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の離婚を正式に発表。

 

当時、ダイアナ妃は35歳、チャールズ皇太子は47歳。世紀の結婚といわれたロイヤルカップルの結婚生活は15年で幕を閉じました。

 

実は、『ダイアナ妃の真実』を読んだエリザベス女王2世が、ダイアナ妃とチャールズ皇太子に離婚を勧めたのでした。

 

別居から離婚への話し合いは、エリザベス女王2世、首相、弁護士も交えて続きましたが、ダイアナ妃は離婚したくはなく、2人の子供の母として最後まで戦うつもりでした。

 

エリザベス女王2世は、ダイアナ妃とチャールズ皇太子離婚に関して、このように冷たく言い放ったと伝えられています。

 

「崩壊した家庭に育った娘を王室に受け入れました。その結果がこれです」

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の不仲!ダイアナ妃の称号剝奪!

 

ダイアナ妃とチャールズ皇太子の離婚に当たり、最重要な決定事項は、ダイアナ妃から『妃殿下の称号』を剝奪することでした。

 

イギリスのメディアによると、ダイアナ妃が総額78億円の慰謝料を求めたのに対し、チャールズ皇太子は29億円の一括払いとダイアナ妃の事務所の経費として毎年6800万円の負担に応じたといわれていますが、

 

エリザベス女王2世が、慰謝料と引き換えに『妃殿下の称号』を剝奪するということを決定しました。

 

そして、これ以降ダイアナ妃は、ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ(ダイアナ元皇太子妃)と呼ばれること、

 

ウィリアム王子、ヘンリー王子の養育権は、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の双方が平等に責任を持つことに決まります。 

 

この離婚報道は、イギリス王室のイメージを著しく下げることとなりました。

 

 

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ダイアナ妃の『最後の言葉』が明かされる!事故直後に!

 

1997年8月31日、ダイアナ元妃はパパラッチに追われ、パリのアルマ橋トンネルの入り口で無残な交通事故死を遂げます。

 

 

この事故から20年経った2017年、ダイアナ元妃の最後の言葉が明らかになりました。

 

ダイアナ元妃の最後の言葉を聞いたのは、事故現場に駆けつけた消防隊員のひとり。

 

消防士のザビエル・グルメロンが事故現場に駆けつけた時、メルセデスベンツの後部席には右肩に少し怪我をした女性を確認しました。

 

女性はわずかに動いていて、血もまったく出ていなかったため、消防士はそれほど深刻な状態だとは思いませんでした。

 

そして「落ち着いて、動かないように」と言い、女性の手を握りました。

 

すると女性は、「オー・マイ・ゴッド、オー・マイ・ゴッド」と言葉を発しました。

 

女性がストレッチャーで救急車の中へ運ばれ、そこで初めて消防士のザビエルは、目の前の女性がダイアナ元妃であることを同僚から知らされます。

 

その後ダイアナ元妃は心肺停止となり、これが生前のダイアナ元妃の最後の言葉となりました。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲は最悪!事故死後も女王は日常生活

 

ダイアナ元妃がパリで急逝したとき、エリザベス女王2世と英国王室メンバーは、夏休みでスコットランドのバルモラル城に滞在していました。

 

ダイアナ元妃がパリで交通事故に遭った1997年8月31日、深夜の午前1時少し前に、バルモラル城の電話が鳴り響きます。

 

それは、フランス駐在のイギリス大使からの電話で、

 

前年にチャールズ皇太子と離婚したダイアナ元妃が、恋人のドディ・アルファイドとパリで自動車事故に遭い、意識不明の重体との知らせでした。

 

女王副秘書官は、すぐにエリザベス女王2世とチャールズ皇太子に、ダイアナ元妃が意識不明であることを説明。

 

しかしこの少し後に、今度はダイアナ元妃とドディの死亡の知らせを受けます。

 

この時、冷静だったエリザベス女王2世は、ダイアナ元妃が王室の宝石を着けていなかったかどうかを調べるよう即座に指示。

 

もし、着けていたら取り戻すようにも通告しました。

 

ダイアナ元妃が亡くなった1997年8月31日は日曜日でした。

 

夜が明け、この日エリザベス女王2世がとったのは普段と変わらない行動でした。

 

この日エリザベス女王2世は、バルモラルで普段どおり日曜礼拝を済ませ、いつもの日曜の生活を送っていたのです><。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲は最悪!チャールズ皇太子は違った!

 

冷たい態度のエリザベス女王2世とは違い、チャールズ皇太子は、ダイアナ妃の遺体を王室特別機でパリに引き取りに行こうとします。

 

しかしエリザベス女王2世は、「王室が金食い虫だと非難されますよ」と反対。

 

さらに、「ダイアナ元妃は離婚して王室を去った人間です。遺体は民間の霊安所に安置すべきです」と言い放ちました。

 

そして、もはや『王室の正規のメンバー』ではなく、離婚後もマスメディアで王室を蔑ろにしたダイアナ妃に不愉快な感情を抱いていたエリザベス女王2世は、

 

王族でなくなっても『イギリス国民のプリンセス』として愛され続けるダイアナ妃の死に、無関心を決め込みます。

 

しかし、このエリザベス女王2世の態度は国民の反感を買い、ダイアナ妃が暮らしたケンジントン宮殿の庭は、国民からのたくさんの献花で埋め尽くされました。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲の悪さ!ブレア首相が女王を説得

 

ひとりではエリザベス女王2世に対抗できないチャールズ皇太子は、首相になったばかりで同世代のブレア首相を味方につけます。

 

なぜなら、43歳という20世紀最年少で就任していたブレア首相は、家族とともに日曜礼拝を済ませるとすぐにマスメディアのインタビューに答え、

 

「彼女は人々から愛された民衆のプリンセスだった」と、ダイアナ妃に深い哀悼の意を表していたからでした。

 

こうして、チャールズ皇太子はブレア首相と一緒にエリザベス女王2世を説得、ようやく王室特別機使用の許可を得ます。

 

そして、チャールズ皇太子とダイアナ妃の2人の実姉は王室特別機でパリに飛び、現地警察の白バイに誘導され病院に到着。

 

待機していたシラク大統領夫妻に、ダイアナ妃の遺体が安置された病室まで案内されると、棺には黒いイブニングドレスをまとったダイアナ妃が横たわっていました。

 

やがて英国王室旗に包まれた棺は、チャールズ皇太子たちに付き添われ無言の帰国をします。

 

そしてダイアナ妃の棺は、チャールズ皇太子の住まうセント・ジェームズ宮殿内の王室チャペルに安置されました。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲が最悪!沈黙の王室を国民が非難

 

これとは対照的にエリザベス女王2世は、ダイアナ妃が離婚した元妃だという理由から何の声明も出さず、滞在先のスコットランドのバルモラル城で静かに過ごしていました。

 

これは、バルモラル城に滞在していたウィリアム王子とハリー王子をマスメディアから遠ざけておくためだったとも言われましたが、

 

イギリス国民は、沈黙を押し通すエリザベス女王2世に猛反発。

 

ダイアナ妃の急逝で悲しみに暮れる国民の怒りの矛先は、エリザベス女王2世に向けられ、

 

ダイアナ妃が暮らしたケンジントン宮殿だけではなく、バッキンガム宮殿やスコットランドのバルモラル城にまで、あてつけのように献花する人々が出てきました。

 

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲が最悪!沈黙の王室をマスコミも非難

 

イギリスのマスメディアも、スコットランドのバルモラル城に閉じこもり続けるエリザベス女王2世に対し、いっせいに非難を浴びせました。

 

「あなたの国民は悲しんでいる。話しかけてください陛下!」(ミラー紙)

 

「あなたの哀悼を見せてください」(エクスプレス紙)

 

さらに、バッキンガム宮殿は追悼の半旗を掲げるべきだと主張するマスメディアもありました。

 

「われらが女王はいずこに? 彼女の旗はどこに?」(サン紙)

 

「宮殿に半旗を掲げよ!」(デイリー・メール)

 

このエリザベス女王2世不在のロンドンで、対応に追われたのが女王秘書官のサー・ロバート・フェローズでした。

 

実は、女王秘書官フェローズの妻は、ダイアナ妃の実姉ジェーン。

 

ロンドンで、国民の怒りを目の当たりにした女王秘書官フェローズは、王家とスペンサー家の仲介をし、王室も何か手を打たなければならないと考えていました。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲が悪すぎる!半旗掲揚に同意するも…

 

女王秘書官フェローズからの進言で、エリザベス女王2世はやっとバッキンガム宮殿に半旗を掲げることに同意。

 

しかし、エリザベス女王2世の紋章旗ではなく、イギリスの国旗、ユニオンジャックの掲揚しか許しませんでした。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲が最悪!葬儀の前日にロンドンに戻る

 

そして、ダイアナの葬儀の前日である9月5日に、エリザベス女王2世は家族全員でロンドンに戻りました。

 

通常エリザベス女王2世の車は、そのまま宮殿のゲートを通りますが、この日、エリザベス女王2世はゲートの前で車を降ります。

 

そこでエリザベス女王2世とフィリップ殿下が目にしたものは、国民からの花束とカードの山でした。

 

ウィリアム王子とヘンリー王子は、警備のためゲートに近づけない人々から花を受け取り供えました。

 

この後、宮殿に入ったエリザベス女王2世は、午後6時のBBCニュースで演説をします。

 

日曜日の恐るべき知らせ以来、私たちはイギリス全土、そして全世界がダイアナの死を悼んでいる様子を見てきました。

 

(中略)
この喪失感を表現するのは容易なことではありません。最初に受けた衝撃は、しばしば他の感情と入り交じってしまうものだからです。

 

疑惑、無理解、怒り、そして残された者たちへの興味。私たちはこうした感情をこの数日間抱いてきました。

 

ですから、女王として、さらには孫たちにとっての祖母として、私が心から伝えることができるのは、いまはこれだけなのです。

 

この演説で、国民のエリザベス女王2世への怒りは収まります。

 

そして翌9月6日、ダイアナ妃の葬儀は、97歳の皇太后をはじめ全ての王族が参列し、『準国葬』級の待遇で行われました。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲だけではない?フィリップ殿下も冷淡

 

最終的に、ダイアナ元妃の葬儀を取り行ったイギリス王室ですが、

 

実は、半旗を掲げることや葬儀には、エリザベス女王2世だけではなくフィリップ殿下も反対していました。

 

エリザベス女王2世は国民の怒りを受け、ダイアナ元妃のためにバッキンガム宮殿に半旗を掲げることを決断しましたが、

 

フィリップ殿下は、それを屈辱的なことだと考えていました。

 

すでに王室の一員ではないダイアナ元妃にそのような栄誉を得る資格がないと、かなり冷淡に考えていたようです。

 

 

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ダイアナ妃との仲が悪くもフィリップ殿下は良い祖父?

 

一方で、フィリップ殿下は、祖父としてウィリアム王子とヘンリー王子には思いやりがありました。

 

フィリップ殿下も10歳の時に、母が統合失調症でスイスの療養施設に入り、実質的に母を失っています。

 

ダイアナ妃の実家であるスペンサー家側が、ウィリアム王子とヘンリー王子が葬儀でどのような役割を果たすべきかについて議論していると、

 

フィリップ殿下は、突然「孫たちをどうするかなど、いろいろ指図しないでくれ!この子たちは母親を亡くしたんだ!」と、激しい口調で言ったほどです。

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲に翻弄される王子たち

 

しかしフィリップ殿下は、最終的には王室の立場から、ウィリアム王子とヘンリー王子に母親の棺の後を歩くことを言い聞かせます。

 

葬列に加わることを拒否していたウィリアム王子とヘンリー王子に、

 

フィリップ殿下は「もし私が葬列に加わって歩くなら、一緒に歩いてくれるかね?」とやさしく問いかけ同意させました。

 

その結果、フィリップ殿下、チャールズ皇太子、ウィリアム王子とヘンリー王子のロイヤルファミリー3世代の男性たちが、ダイアナ妃の棺の後を歩く厳かな光景が世界中に流れ、

 

イギリス王室の結束の強さを印象づけました。

 

 

しかし、後にヘンリー王子は、母の棺の後ろを歩いたことはトラウマになったと、このように告白しています。

 

「母が亡くなったばかりなのに、私は棺の後ろを、大勢の人々が見つめる中、長い間歩かねばならず、さらにそれをTVで数え切れないほど多くの人が見ていました。

 

どんな子供も、いかなる状況であっても、そのようなことをさせられるべきではないと思います。

 

今ならあり得ないでしょうね」

 

 

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ダイアナ妃とエリザベス女王の仲を収めたドキュメンタリー映画『プリンセス・ダイアナ』

 

2022年9月20日、没後25年を迎えるダイアナ妃の人生をたどるドキュメンタリー映画『プリンセス・ダイアナ』が、日本でも劇場公開されます!

 

実は、ダイアナ妃を扱ったドキュメンタリー映画の劇場公開は、日本では初めてのこと。

 

ダイアナ妃の人生、歴史に残る結婚式、2人の王子が生まれた日、そして悲劇的な死について…。

 

『プリンセス・ダイアナ』は、1981年のチャールズ皇太子との婚約の数週間前から、パリでの事故死までの16年間を、当時のニュース番組の映像やホームビデオなどをつなぎ合わせて語られています。

 

『プリンセス・ダイアナ』はアーカイブ映像のみで構成されており、圧倒的な臨場感で、これまで以上にダイアナを身近に感じられる映画となっています。

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